1.はじめに
こんにちは。高校二年の〇〇です。ついに最後の研究になってしまいました。今までの経験や反省を生かしつつ、より良い研究になるように頑張って書いていきたいと思います。
今回は車両基地や貨物駅などの大規模鉄道施設の跡地の活用法について考えていきます。鉄道施設の跡地の開発の例では、まず高輪ゲートウェイ駅が思いつくでしょう。都心に広い土地が生じていて、山手線に乗っていても最も特殊だと感じるエリアになっていると思います。
では、そもそもなぜ鉄道施設が廃止され、高輪ゲートウェイ駅周辺のように広大な空閑地が生じるのでしょうか?また、その跡地は実際にはどのように使われ、今後はどこで空閑地が生じていくのでしょうか?
これらの点について、今回の研究では調査・考察していきたいと思います。つたない文章ですが、最後までお読みいただければ幸いです。
2.近年の鉄道の変化
今回の研究では鉄道施設の「跡地」に注目していくわけですが、そもそも「跡地」はそこにあった何かがなくなったことによって生まれるものです。もともとあったものがなくなることには何らかの原因が生じるものだと考えられます。鉄道施設に関しては、鉄道の在り方に何らかの変化が発生し、その施設が不要になることで「跡地」が生じるものだと思います。そこで、まずは近年の鉄道の動きと、鉄道施設廃止・縮小による跡地の発生の関係についてみていきます。
(ⅰ)鉄道貨物需要の減少
大規模な貨物駅・操車場がかつては全国に点在していたことからわかるように、以前は日本の貨物輸送において、鉄道は大きな役割を果たしてきました。しかし、その輸送量は、以下のグラフからわかるように1970年代(昭和45年から昭和54年ごろ)から急激に減少し始め、現在は最盛期のおよそ3分の1程度の輸送量になっています。
国鉄・JRの貨物輸送トンキロの推移
(国土交通省「貨物の輸送機関別輸送量・分担率の推移」より作成)
鉄道貨物が衰退する一方で、自動車や航空機による貨物輸送は大幅に拡大しています。また、船舶の貨物輸送も輸送量は減少していることが見て取れますが、鉄道貨物の衰退度合に比べれば、あまり減少していません(表1)。
表1 各交通機関の貨物輸送の変化(輸送トンキロ、単位は百万トンキロ)
では、なぜ鉄道だけ貨物輸送の規模が大幅に縮小しているのでしょうか。
主要な理由として、まずエネルギー革命や資源の海外依存度の増大により、石炭など鉄道貨物が主に取り扱っていた品物の取り扱いが減少したというような、日本全体での社会構造の変化があり、大規模・大量輸送に優れているという鉄道貨物の強みが生かせなくなったという理由があげられます。
それに加え、国鉄の輸送サービスが信頼できなくなったということも鉄道貨物縮小の理由として考えられます。当時、国鉄は労働組合との間で「順法闘争」や「スト権スト」といった形で対立を深めていました。この影響で輸送の定時制や確実性が失われ、その結果国鉄の信用は失墜し、顧客が離れて行ったのです。
これらの理由により、鉄道貨物の輸送量は次第に減少し、貨物輸送に関連する設備等も不要になり、鉄道施設は廃止・縮小され、空閑地が生じたのです。
(ⅱ)新幹線の開業
(ⅲ)直通運転の開始
直通運転の開始でも、その影響で車両配置や検査などの運用方法が変更されることが多く、車両基地が廃止・縮小されることがあります。
しかしながら、実際には直通運転開始によって列車の走行距離は基本的に長くなりますので、本来車両配置のために、車両基地は拡大されます。実際に、相鉄・JR直通線の開業で相鉄とJR埼京線が直通運転を開始した時も、次の表2のように配置車両は増加しています。
3.跡地活用の具体例
ここからは、前章の内容を踏まえつつ、実際に行われた、もしくは行われている再開発の例についてみていきましょう。
(A)高輪ゲートウェイ駅・うめきた地区
品川駅と田町駅の間に2020年に開業した、山手線で最も新しい駅である高輪ゲートウェイ駅ですが、現在も駅周辺では再開発が進行しています。再開発が行われている広大な土地(約13ヘクタール)は、田町車両センターの廃止によって生じたものです。
では、そもそもなぜ田町車両センターが廃止されたのでしょうか。
それは、上野東京ラインの開業が主な理由だといえます。上野東京ラインの開業により、湘南新宿ラインを介しての直通のみであった時代に比べ、東海道線と宇都宮線・高崎線の間での車両の行き来が増えました。これにより、田町車両センターに留置されていた車両が、宇都宮線・高崎線沿線の車両基地にも留置できるようになったため、田町車両センターが廃止されたというわけです。ただし、早朝深夜の列車や、常磐線から直通してくる列車に対応するため、現在でも「東京総合車両センター田町センター」として車両が留置できるようにはなっています。
このようにして生じた田町車両センターの跡地に高輪ゲートウェイ駅が設置されました。その周囲にも東京23区内では異例ともいえる約13ヘクタールの空閑地が生じたわけですが、これを活用して再開発が進んでいます。
再開発はJR東日本が主導していて、ビジネス用や住宅用の建物が建設されるほか、文化創造を目指す施設も建設されます。また、再開発中に発掘された高輪築堤を活用した再開発計画を発表しています。(以上、「高輪ゲートウェイシティ(仮称)まちづくりについて」を参考)
なお、高輪築堤とは、鉄道開業当初に海上を走行する区間に建設された全長約2.7kmの築堤のことで、高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発をする際に発掘されました。日本の鉄道黎明期の貴重な設備であり、現在は「旧新橋停車場跡および高輪築堤跡」として、国史跡に指定されています。
高輪ゲートウェイ駅に似たような立地で再開発を行っている場所で有名なものとして、梅田貨物駅の跡地で行われている「うめきた」地区での再開発が挙げられます。「うめきた」地区は大阪駅からほど近いところに位置していて、さらになにわ筋線(※)開業後は付近に新駅が開業する予定になっています。一部の施設はすでに供用されていて、今後さらに開発が進んでいく予定になっています。
「うめきた」地区と高輪ゲートウェイ駅との共通点としては、大都市中心部にあるという立地の類似性のほかにも、再開発を主導しているのが民間企業である、というものがあげられます。高輪ゲートウェイ駅は先述したとおりJR東日本が主導していて、また、「うめきた」地区も三菱地所をはじめとした民間企業が主導しています。
(※)なにわ筋線:なにわ筋線は、うめきた(大阪)地下駅(2023年春に「大阪駅」として開業)と、JR難波駅および南海本線の新今宮駅をつなぐ新たな鉄道路線として関西高速鉄道が鉄道施設を整備・保有し、JR西日本および南海電鉄が鉄道施設を使用して旅客営業する計画です。(JR西日本公式サイトより引用)
(B)新鶴見操車場跡
新鶴見操車場は、1984年まで神奈川県川崎市と横浜市にあった操車場です。「東洋一の規模」を誇っていたともいわれるほど広大な敷地(全長約5.2km、面積80ヘクタール)を有していた新鶴見操車場ですが、先ほども述べたように国鉄の貨物需要が減少した結果、規模が縮小されたのちに1984年には廃止されています。規模縮小に合わせ、1980年には横須賀線の新駅として新川崎駅が開業しましたが、それ以外の多くの土地は1984年の廃止以降、長らく更地になっていました。
しかし、1991年になると、この更地は川崎市に売り払われました。この時点では川崎市はこの更地を川崎市の副都心として再開発するとしていましたが、経済状況の変化により、川崎市の財政が悪化したため、最終的には計画は見直されたうえで再開発が進行し、現在に至っています。
現在は「慶應義塾大学新川崎(K2)タウンキャンパス」や「富士通新川崎テクノロジースクエア」といった文教施設や研究施設が位置しているほか、「幸ふるさと公園」など緑のある公園やマンション、ショッピングセンターもあります。
(C)長岡操車場跡
長岡操車場は、新潟県長岡市にあった操車場ですが、1985年に南長岡駅(貨物駅)に統合される形で廃止されています。これによって生じた空閑地は、長岡市主導で「長岡防災シビックコア地区」として再開発されました。
長岡防災シビックコアには、民間商業施設や市営住宅のほか、長岡地方合同庁舎や消防本部庁舎をはじめとする各種公共機関が位置しています。特に、長岡地方合同庁舎にはもともと市内に分散していた国の出先機関が長岡地方合同庁舎に集約されていて、そのことから長岡防災シビックコアは「新しい中心地」として再開発されたといえます。
(D)碓氷鉄道文化むら
碓氷鉄道文化むらは、群馬県安中市にある鉄道車両などの展示を行う施設で、横川機関区の跡地に位置しています。そのような経緯を取り扱った展示が多く、また、碓氷峠に関係のない車両も多く保存・展示されていて、合計の展示車両は30両以上になります。
碓氷鉄道文化むらに展示される鉄道車両(写真はD51形蒸気機関車96号機)
(E)長崎駅
2022年9月23日に、武雄温泉駅と長崎駅を結ぶ西九州新幹線が開業します。これにあわせ、長崎駅は在来線も含め高架化され、駅の規模自体も縮小されています。また、駅の隣にあった長崎車両センターも同様に、洗車機など一部機能を残したうえで車両は佐世保車両センターに移転しています。
これにより、駅前に広大な空閑地が生じ、現在は新幹線開業に合わせ再開発が行われています。
整備中のものとしては新駅ビルが、すでに整備されたものとしては国際会議やイベント開催が可能な「出島メッセ長崎」が例としてあげられます。また、再開発と直接の関係はないものの長崎県庁も駅の少し南あたりに移転しています。長崎駅周辺が長崎市・長崎県の新しい中心地になるように再開発されているといえます。
元車両センターの広さは地理院地図で計測したところ、およそ14ヘクタールでした。なお、計測したおよその部分は以下の図の太枠内です。
長崎駅周辺の地図
太枠内が旧駅構内・車両センターである
長崎駅周辺の地図に関して補足説明です。衛星写真と標準地図を組み合わせて作成しています。また、現長崎駅の北西方向に警察署の地図記号がありますが、長崎駅前の警察署は再開発に合わせて新設されたものなので、標準地図はかなり新しいものになります。一方で、衛星写真は長崎駅の広大な構内が映っているので、少し前のものだとわかります。
ここまでで紹介してきた6例のほかにも、鉄道施設の跡地を活用した再開発の例は多くあります。よりほかの例についても詳しく知りたい方は、以下の青森市の公開している資料に、操車場が中心になりますが様々な例が紹介されていますので、こちらも参照してください。
・青森市ホームページで公開されている資料
4.活用法のまとめ
3.では、(A)~(E)で6つの例について見てきましたが、これらの例からわかる鉄道施設跡地の再開発の特徴について考察し、まとめていきます。
(ⅰ)「新たな中心」としての鉄道施設跡地
(A)、(B)、(C)、(E)の例からわかるように、鉄道施設跡地が市街地から近くに位置している場合には、跡地を新しい中心地として再開発が進められます。鉄道施設は広く、市街地から近いことも多いので、公共施設などの再編成が容易にできて、なおかつ市街地からの利便性低下が起こるということもあまりありません。
また、自治体ではなく鉄道会社が推進する場合にも、まとまった土地を再開発できるというメリットは大きいです。それに加え、高輪ゲートウェイ駅のように新駅設置をすることで、さらなる利便性向上や知名度向上もできます。
このように、鉄道施設跡地は「新たな中心地」を形成するのに適しているといえます。
(ⅱ)鉄道施設があったことの伝承
鉄道施設は、廃止されたのちにはその存在を忘れ去られることもあります。特に、廃線跡などが全く整備されなかった場合は、廃線跡をめぐる一部の鉄道ファン以外には全く存在を認知されなくなってしまいます。鉄道の存在は、日本国内の様々な状況の変化を示すこともあり、その施設があったことは語り継がれる必要があるといえるでしょう。
鉄道施設があったことを伝えるような施設もあります。(D)で挙げた碓氷鉄道文化むらがその具体例になりますが、鉄道に関する展示施設を開設することは、鉄道施設があったことを語り継ぐ1つの方法になるといえます。
また、鉄道に関する展示施設を開設しなくとも、再開発された街の一角に鉄道施設が存在したことを伝えるモニュメントや小さな展示室を設置するだけでも十分鉄道施設があったことは伝承されていくと思います。
(ⅲ)鉄道施設跡地ならではの強み
ほかの空閑地に比べ、鉄道施設跡地に言える強みとしては、鉄道路線の沿線にあり、交通の便が良いことが挙げられます。駅から遠い場所を開発するとなると、バス路線の新設や駅の新設が必要になり、建築以外にも整備が必要になります。一方で、鉄道施設跡地は線路沿いにあり、交通関連の整備内容は新駅設置程度で十分なので、開発する際の負担が軽減されます。
また、鉄道施設は線路沿いにあるので、鉄道利用時に自然と目につき、再開発が進んでいるとなるとそのことを認知してもらいやすくなる、とも考えられます。広告宣伝費があまりかからない、または効率的に広告できるということは、再開発する側にとって大きなメリットとなるでしょう。
5.今後の再開発地の候補
今回の研究では、(ⅰ)金沢総合車両所 (ⅱ)函館運転所の2箇所について考えていきたいと思います。
(ⅰ)金沢総合車両所
現在、金沢駅は北陸新幹線および北陸本線の終着駅であり、また北陸本線を走る特急「サンダーバード」や特急「しらさぎ」と北陸新幹線の乗継駅でもあるなど、金沢駅には北陸地方の交通の要衝としての役割があります。
しかし、2023年度末をめどに北陸新幹線が敦賀駅まで延伸されるため、その役割は失われることになるでしょう。北陸新幹線の延伸に合わせて北陸本線の敦賀駅から金沢駅までの区間は並行在来線としてIRいしかわ鉄道やハピラインふくいに移管され、当然ですが敦賀以北の北陸本線の特急は廃止されます。今まで長編成である特急用車両の留置にも使用されていた金沢総合車両所は、新幹線延伸後は編成の短い普通列車のみが使用することになるため、必要となる用地は明らかに狭くなり、空閑地が発生すると予想されます。
また、以下の地図からもわかるように、金沢総合車両所は市街地から近い所に位置し、東金沢駅や金沢東ICからのアクセスも容易になっています。なお、地図は地理院地図の航空写真と標準地図を合成して作成したものです。
金沢総合車両所と各交通機関までの位置関係
鉄道・高速道路ともに利用しやすい立地であるといえる
金沢城との位置関係 金沢城付近が金沢市街地の中心部で、金沢市役所もここに位置する
金沢市街地の中心は金沢駅前ではなく、金沢城付近が中心の繁華街となっています。そのエリアへのアクセスも金沢駅へのアクセスには若干劣りますが、しかしバス路線の運行などによって十分解決できる程度の距離で、十分利便性の高い立地であると言えます。
また、金沢総合車両所の広さについても、地理院地図で求めたところ、およそ13ヘクタールになりました。もちろん。この土地がすべて利用できるわけではないのですが、仮に半分だけ利用できるものだとしても、先述した高輪ゲートウェイ駅の例を考えると13ヘクタールは十分な広さであるといえます。
以上をまとめると、金沢総合車両所は北陸新幹線延伸によって空閑地が発生することが予想され、かつ市街地や交通の中心からも近い所に位置しているので、跡地を再開発するのに適した場所だと思います。
(ⅱ)函館運輸所・函館駅
現在、北海道新幹線は新函館北斗駅が終着駅になっていますが、2030年ごろには札幌駅に延伸される計画になっています。そのため、北海道新幹線の札幌延伸によって現在函館駅と札幌駅を結んでいる特急「北斗」は廃止になると予想され、特急「北斗」用の車両が多く配置されている函館運輸所も規模の縮小が可能になります。
また、函館駅についても現在は特急列車が発着する主要駅なので駅にある程度の広さが求められますが、普通列車のみの発着となると現在の設備では過剰であるといえます。
函館駅と函館運転所の位置関係(函館駅はホーム・駅舎部分のみ示している)
上の地図のように、函館運輸所は函館駅の隣に位置していて、交通の利便性から考えるとかなり良い立地になっていると言えます。また、函館運転所部分の面積を地理院地図で計測したところおよそ6.6ヘクタールになりました。
もちろん、北海道新幹線の延伸開業後も道南いさりび鉄道や函館本線の普通列車用車両が函館運転所に一部配置され続けると考えられ、函館運転所全体を再開発用の土地に回せるわけではありません。一方で、先述した通り、函館駅の規模も縮小されると予想できます。函館運転所と函館駅の2施設を合わせると、ある程度の広さの空閑地が生じ、再開発をするには十分になるのではないのでしょうか。
なお、函館本線が新幹線延伸開業を契機に第三セクター鉄道に経営移管されるとも考えられますが、この研究では便宜上、経営移管があるかどうかにかかわらず、現在の函館本線に相当する区間の路線名を「函館本線」と表記しました。ご了承ください。
6.開発方法の検討
(ⅰ)金沢総合車両所
金沢総合車両所の跡地は、活用できるのであればマンションやそれに付随する商業施設として活用するのが良いのではないかと思います。
5.で述べた通り金沢総合車両所はある程度の広さがあるとはいえ、第三セクター鉄道や七尾線の普通列車の運行は続くので、車両所全体を利用できるわけではなく、利用できる土地の広さの観点から新しい中心地にはなりえないと思います。それに加え、北陸新幹線金沢延伸開業の時点で駅自体や駅周辺を中心にすでに再開発は十分に行われていると言えます。
大規模施設の建設は難しく、またさらなる中心地も不要なので、金沢総合車両所の跡地にはマンション程度の建設にとどめられるのではないかと考えました。
金沢駅の鼓門
北陸新幹線の延伸開業によって金沢駅及び金沢駅周辺は整備された
(ⅱ)函館運輸所・函館駅
函館運転所の跡地については、函館・道南地方の中心地として再開発を進めていくのが良く、またその必要性もあると思います。理由としては以下の2点を挙げます。
①函館駅を新幹線が通らない
最大の理由として、函館駅を新幹線が通らないことが指摘できます。北海道新幹線は、札幌方面の延伸を見越して、函館市内には駅が設置されていません。代わりに北斗市に新函館北斗駅が設置されています。
そもそも空路が北海道への交通手段の主流になっているとはいえ、新函館北斗駅が北海道新幹線の終着駅なので、鉄道利用客の中には札幌方面に向かうついでに、函館市内にも向かう人もある程度はいると考えられます。たとえば、鉄道を利用する観光客ならば、せっかく函館の近くを通るから、少し寄り道をして函館山からの夜景を楽しんだり、函館の市場で新鮮な海産物を食べたりしよう、といった感じで函館を観光すると考えられます。
しかし、新幹線の札幌延伸開業により、空路に限らず鉄道で北海道に向かう時にも函館は通過地点にすらならなくなり、都市の衰退が加速してしまうと思います。
そのことを防ぐためにも、函館に行きたい、と思えるような施設が開設される必要があると思います。
②駅東側で再開発が進行中
現在、函館駅の東側では「函館駅前東地区市街地再開発準備組合」を中心に、再開発を進める動きがあります。この団体は地権者らによって構成されていて、駅前の百貨店「棒二森屋」の閉店を受けて2019年に結成され、再開発事業の推進に向けて活動しています。実際に棒二森屋の跡地ではマンション・商業・ホテルの複合施設建設が行われています。
これに合わせて、函館駅・函館運転所も再開発することで、函館運転所が狭いという問題も解決できると思います。
以上をまとめると、函館市内に新幹線の駅が存在せず、そのため北海道新幹線の延伸開業によって函館に寄る人が少なくなることが予想されるので、函館の魅力を創出・発信する新たな施設が必要だといえます。また、駅東側ではすでに再開発が進行しているので、それとともに駅前を開発することで函館運転所の狭さを克服でき、そのうえで2施設を合わせて「新しい函館」の顔としての再開発ができると思います。
また、函館駅も規模縮小に合わせ、駅施設の大幅改修が考えられます。再開発で建設する新施設を駅直結にしたり、さらには駅自体を新施設内に含めてしまったりすることで、より利便性が高い施設になるのではないかと思います。
さらに、「新しい函館」と書きましたが、函館は青函トンネル貫通前には青函連絡の一端を担っていた都市です。そこで、「新しい函館」と以前の函館を比較し、以前の函館も生かしたような街づくりをすると、訪れたい街になっていくと思います。
7.まとめ
・鉄道貨物の規模縮小や新幹線の開業、そして直通運転の開始などによって大規模鉄道施設が縮小・廃止され、空閑地が生じることがある。
・大規模鉄道施設の跡地では、再開発が行われることが多い。再開発は地方自治体主導のこともあれば、鉄道会社など民間企業が主導することもある。
・今後の開発地の候補としては、金沢総合車両所と函館運転所・函館駅があげられる。
・金沢総合車両所は、マンションなど中規模程度の施設として再開発をするのが良い。
・函館運転所・函館駅は、駅東側の再開発で完成した施設と協調するような観光客向けの施設として再開発するのが良い。また、施設内には青函連絡船や青函連絡列車についての展示も設置するのが良い。
8.おわりに
いかがでしたでしょうか。今回の研究は、今まで以上にデータや具体例についても調査し、そのうえで研究を執筆していったので、かなり上手にまとめられたと思います。
ところで、研究を書き始めた時には、金沢総合車両所や函館運転所以外にももっと候補があるのではないか、と考えていたのですが、その2つ以外で計画が進行していない例は見つからなかったことは意外でした。広い鉄道施設の代表格ともいえる操車場や貨物駅は、かなり昔に縮小され、すでにその跡地での開発は済んでいるのではないか、と思いました。
最後に、ここまでお読みいただいた読者の皆さん、以前のものも含め研究の校閲をしてくれた先輩・同輩・後輩・顧問の先生方、本当に
ありがとうございました!!
9.参考文献・サイト
国土交通省
https://www.mlit.go.jp/
函館市公式サイト
https://www.city.hakodate.hokkaido.jp/
青森市公式ホームページ
http://www.city.aomori.aomori.jp/
長岡市の公式サイトにようこそ!
https://www.city.nagaoka.niigata.jp/
川崎市公式ウェブサイト
https://www.city.kawasaki.jp/
長崎市ホームページ
https://www.city.nagasaki.lg.jp/
JR東日本
https://www.jreast.co.jp/
JR西日本
https://www.westjr.co.jp/
JR九州
https://www.jrkyushu.co.jp/
函館駅前東地区市街地再開発準備組合
https://hakodate-ekimaehigashi.jp/
碓氷鉄道文化むら
https://www.usuitouge.com/bunkamura/
うめきた2期地区開発プロジェクト
https://umekita2.jp/
おことわり:Web公開のため一部表現を変更させていただきました。掲載されている情報は研究公開当時のものです。現在とは若干異なる場合があります。
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